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法華宗といいます。これは日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)ご自身が、「法華宗の沙門日蓮」と、自ら名乗られたそのままの宗名です。
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日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん 1222〜1282年)です。宗祖というのは一宗を開いた祖師の意ですが、ここでは単なる一宗派の開祖という意味ではなく、末法(まっぽう)という人も心もともに荒廃した時代の人々を救うために、釈尊より遣わされた上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)が、人間として生まれてこられた方、すなわち末法の人々を導く尊い指導者という意味です。
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信心の対象として、もっとも尊いものという意味ですが、法華宗の本尊は、「本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経(ほんもんはっぽんじょうぎょうしょでん の なむみょうほうれんげきょう)」です。これは、一切衆生(いっさいしゅうじょう)を成仏させるための根本の種子(たね)であり、宇宙すべての功徳を納めており、今日のような荒廃した時代のために釈尊が上行菩薩に託された教えなのです。そして、釈尊も宗祖もこれを本尊とされました。
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法華経(妙法蓮華経)をよりどころの経典としています。日蓮大聖人は、このお経は釈尊滅後(末法)の人々を救うための教えであり、この経こそ釈尊の真意を説く経であるとされました。釈尊はこのお経を説くために、この世にお生まれになったのであり、法華経は今のわたしたちを救うための教えなのです。
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法華経の経題をさすところから出た言葉ですが、いまは、「本門八品 上行所伝の南無妙法蓮華経」を
いいます。
宗祖は、釈尊もあらゆる仏様もこのお題目の信心・修行によって、仏になられたとされています。
すなわち、このお題目は成仏する唯一の種子(たね)であり、成仏するのに必要なすべての功徳を
納めている教えなのです。
ですから、宗祖はこれを「母乳」に譬えられ、赤子が母に抱かれ口に乳を含むとき、何も考えずとも
自然に成長することに譬えられました。
お題目は、決して、抽象的な真理とか法理とかいうものではなく、人間の心を育て向上させるための、
生命力あふれる、慈悲そのものの教え、功徳のあつまりなのです。
宗祖のお唱えになったお題目は「本門八品 上行所伝の南無妙法蓮華経」です。このお題目こそ聞き、信じ、唱えて功徳のあるお題目なのです。
しかし、宗祖が亡くなられて以後、長い歴史の間に「南無妙法蓮華経は法華経の真理を指す」ことのみが強調され、「お題目は真理そのものである」という解釈が重視されるなど、純粋のお題目ではなく、濁りが生じるようになりました。そこで、それらと区別し、宗祖の本来のお題目であることを明確にするために、「本門八品 上行所伝」と但し書きを付けざるを得ないようになりました。
「真理」とは悟りの対象です。法華経は悟ることができない人々を救うこと、すなわち、私たちすべてが菩薩であり、誰でもが成仏できることを教えるお経です。
では、具体的には、どのようにして成仏を目指すのでしょうか。それは、成仏するための種子(たね)仏種子(ぶっしゅし)を植え付けること以外にはないとされました。この修行を菩薩としての修行、すなわち、菩薩行といいます。
ですから、お題目を唱えることは、悟りを目指す修行の代替行為ではなく、仏になるための菩薩行
そのものなのです。
このように、成仏するための種子を表すお題目は、宗祖の唱えられたお題目であり、それは「本門八品
上行所伝の南無妙法蓮華経」以外にないことは、宗祖の御文章に明らかです。
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